第3子女児 出産 (38週)

母の日、38週1日での出産となりました。

体重2.7kg 身長54cmの細長い子が出てきました。
検診で若干小さめと言われていて、37週でようやく推定2.5kgを突破したばかりだったので、実際に産まれて未熟児ではなかったのは本当に良かったです。思ったよりしっかりふっくらしているように見えます。

髪の毛もたくさん。

<経過>
朝起きた時から、生理痛のような腰回りのだるさや前駆陣痛を感じる。まだ不規則。

週末で夫が単身赴任先から帰宅中なため、子供達(6歳と4歳)の世話は夫に任せて、私は家で過ごす。

15時頃、おしるしが出る。その頃から陣痛がだんだん規則的になる。いよいよ病院にいつでも行けるように荷物の最終確認。

陣痛間隔が10分を切ってきたので、夕飯後、翌日の子供達の学校や幼稚園の準備を済ませて、家族全員で病院へ。

夜7時半頃に助産師がチェックするが、まだ陣痛が弱いのと、子宮口が1センチほどしか開いていないとのこと。
4歳の次男がはしゃいで分娩室でアホなことばかりするので、これはとりあえず家に帰った方がいいかな〜。彼がいると真剣にいきめなそう…
家が近いので、一度帰宅し、自宅待機。
9時過ぎに子供達は寝かせる。

夜9:30、どんどん陣痛間隔が短くなり7分前後、痛みも増してきた。
子供達が寝ているため、近くに住む友人夫婦に家にきて待機してもらい、私と夫は再度病院へ。

夜10時、分娩台へ。
既に子宮口が5センチ以上開いているので、助産師が病院外(多分自宅)にいる医師に連絡。そこからしばらく放置される。痛みがどんどん酷くなるのに、完全放置のまま、40分…

夜10時40分ようやく医師到着。
「さっき来た時まだ全然開いていなかったみたいだから、明日かなと思ってたのよ〜」みたいに笑いながら余裕の表情で子宮口をチェックした瞬間、顔が真剣になる。

「もう頭がそこにあるし、8ー9センチ開いている。急いで準備して!」と助産師一同に指示が飛び、急に場が慌ただしくなる。
それまで完全放置されていたため、点滴もされていないし、洋服も着替えていない。
既に激しい陣痛がひっきりなしに来ているのに、「準備ができるまでいきむな!」と言われる。

これはまさに第一子第二子の時と同じ展開…デジャヴ…
(第一子の時は日曜の朝で医師が教会に行っていたため、先生が到着するまでいきむな!と言われた。第二子の時は病院に行くのが遅すぎて、既に半分産まれかかっていたため、分娩の準備ができるまでいきむなと言われた)

毎回思うけど、もう出てきているのに、「いきむな」と言われても、はっきり言って無理。
分娩台でのたうち回る私の両脚を助産師が押さえつけ、踏ん張れないようにされる。
しかもその状態で、汚れるので洋服を着替えろとの指示。
夫に引っ剥がされるようにしてどうにか脱ぐことはできたけれど、病院服を着ることは既に不可能。
もう拷問の域。
そのまま裸で出産へ…

ようやく10:45準備ができて、いきむ許可が下りる。疲れでいきみが長続きしない。夫が後ろから身体を少し持ち上げてくれて、いきむ時にお腹を見る!目をつぶらない!いきむ時に声を出さない!途中でやめない!など叱責されつつ、何度めかのいきみでようやく赤ちゃんが出る。

全力でいきんでいたのは僅か5分ほどですが、本当に疲れました。年齢のせいかな〜
過去2回の出産より疲労が酷く、全く動けない。
でも産まれたばかりの赤ちゃんを抱かせてもらえた時にはやっぱり嬉しいね!

すごくホッとした。

よく芸能人の出産後のコメントで、感動で涙が出てきたとか、いろいろ言ってるけど、あれは私にはよくわからない。3回産んだけど、一度もそういう風な激しい感情にはならなかった。とにかく無事に出産できて、ただただホッとした。それだけ。

今回は特に普段夫が単身赴任でいない中、留守中に産気づいたらどうしようという不安が大きかったせいか、まずは「夫が家にいる日に陣痛が来て、その日のうちに産まれてくれた本当に良かった。」という安堵の気持ちが一番大きかったです。

夫がいる時に産まれて欲しい。
40週で夫と子供たちはテニスの練習で留守にする予定なので、それまでには産まれて欲しい。
椎間板ヘルニアの持病があるので、なるべく早めの正期産の時期に産まれて欲しい。
などなどいろいろ希望があり、38週くらいで出てきて欲しいと思っていたら、本当に出てきてくれました。
しかも母の日。
しかも友人の誕生日と一緒。かぶるかも〜なんて冗談言ってたら本当にかぶった。
そういうのって、お腹の子に通じるものなのかな〜

日付変わる直前に産んで、今日の午後、もう退院です。丸1日もゆっくり休めず。チーン
日本の産科とはだいぶ違います。
退院まであと数時間休みます。

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