夫の単身赴任終了

今日付けで、夫が我が家のあるボルネオ島Bintulu配属になりました。

これで2年半に及んだクアラルンプール単身赴任は終了です。

「2年半」と言葉にしてしまうと、たいしたことない感じ。実際日本の一般的な単身赴任って多分3年くらいはありますよね。

だけど、私の2年半の苦労は筆舌に尽くし難いものでした。

すごく苦しみ悩み、最後の方は若干鬱っぽくなり、かなり情緒不安定でした。気分がいい日でも、ほんの些細なことでものすごく凹む。泣く。大泣きする。叫ぶ。みたいな。

こりゃ、幼い子供に悪影響極まりないです。

だけど自分ではどうしようもなかったです。これ以上、頑張ろうとすればするほど、嫌になる。もう本当に嫌。何もやりたくない。

トンネルの出口が見えないっていうのがつらかったです。

うちの夫の転勤は、いわゆる転勤族の数年ごとに各地を転々とするタイプのものではなく、今後退職するまでクアラルンプール勤務という半永久的な物でした。仮に定年まで勤めあげたとして、あと25年かそれ以上の単身赴任。それは、やっぱり無理です。

私の精神的、心理的に無理というのもあるし、客観的に考えて現実的ではない。

例えば、今後家族のことで私がどうしても日本に一時帰国しなければならなくなった時、夫がこちらにいてくれないと、子供を置いて帰れない。私自身だって、いつ何が起こるかわからない。入院等の事態が起きた時に子供の世話を頼れる人がいない。

この悩みはコロナでさらに悪化しました。コロナのせいでクアラルンプールとボルネオ島間の飛行機は激減しました。さらに、サラワク州が入境者に2週間の隔離を義務付けたりして、夫が帰りたいときに帰ってこれない事態。ただでさえ疲労や不安で参っているときに、夫が全然帰ってこれない、次いつ帰れるか見通しが立たないというのは、致命的でした。そして、コロナ収束の見通しも立っていません。

こういう不安ばかりの日々を、私一人で切り抜けていかなければいけない。

それは、私にはできませんでした。

自分がもっとマレー語中国語を話せたら、もっと遠慮なく他人に頼れたら、もっと体力があれば、もっと楽観的になれたら、状況は違ったかもしれない。

だけど、この2年半、言葉や文化の壁がある外国人妻なりに、家族を支えるため、3人の子供たちを怪我病気なく育てるため、夫へ余計な負担をかけないために、家庭のすべてのことについて一人でこれ以上できないくらい努力をしてきて、心身ともに疲弊していました。私の24時間365日は全て家族のために費やしてきたようなものです。もう十分すぎるほど頑張ったと自負しています。さらなる「たられば」で自分を追い込むことはもうできませんでした。

夫に申し訳ないという気持ちが全くないと言えば嘘になります。だけど、本当に、もうどうしようもなかったです。

これ以上自分に何かを強いれば、私自身は確実に壊れたと思うし、夫婦も壊れたかもしれない、子供たちも壊れたかもしれない。

実際、7月8月と私の情緒不安定のせいで子供たちに怒鳴ってしまったこと数知れず、夫が帰ってくれば必ず喧嘩になりました。

「これじゃダメだ」と思うけど、自力でこの困難を乗り越える策は見つかりませんでした。

8月、夫に泣きながら訴えました。「もう無理。このままでは家族がダメになる。減給でも降格でもいいから戻ってきてほしい。ダメもとでいいからとにかく上司に全部話してみて」と。

それまでも、夫は私に気分転換が必要だと何度も言ってくれてはいましたが、このコロナ禍どこにも行けず、気分転換すら難しい。今回の私の絶望的な訴えで本当に危機的だと悟ったようで、8月15日、直属の上司に相談。すると、意外にも上司の反応が良い。「家族が一番大事だから、人事に取り継いでみる」と。

そこからは想定外にとんとん拍子で事が運び、今日晴れて、単身赴任解消となりました。

これからも重要な会議の時などはクアラルンプールに行くわけですが、普段は家族が一緒にいられるという安心感。「家族が一緒にいられる」という当たり前のようなことが、当たり前ではなかった2年半。ようやく当たり前に戻りました。

この当たり前がずっと続くことを願いたい。

3件のコメント

  1. Enoko

    良かったよおお
    おめでとう!
    心配だったから最善の解決策が出て本当に良かった。
    とにかくゆっくり休んでね。

    • smilingtweety

      本当にありがとうね〜
      エノコとのメールは確実に心の支えだよ!

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